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 『陰陽師』といえばいわずと知れた「安倍晴明」でしょう。こちらの神社は「晴明の生誕の地」であり京都西陣の晴明神社は没後の御霊をお祀りしたものであるとされています。その観光地的シュチエーションも手伝って、京都の神社のほうが有名なようです。
こちらの神社は大阪市阿倍野区(あべのく)の住宅街の中に鎮座し、この地が熊野街道筋にあたる為、熊野系神社の「阿倍王子神社」が祀られており晴明神社はその末社にあたります。どちらかと言うと「大阪の晴明神社」は町の(地元の)神様的な性格が強いように思われます。

字は違いますが「あべの」は晴明公に由来する地名であるようです。地元人の厚い信仰が伺えます。

 私事なのですが、随分前の話、仕事の関係で大阪に4年ほどいました。今から考えればこの神社から目と鼻の先の勤務先におりましたが当時は神社参拝にはまったく興味がなく一切参拝しませんでした。『陰陽師』の映画化がされていない昔だったのですがこの神社の存在は知っていました。が、お参りしませんでした。今から考えれば大変なお宝を前にして宝の持ち腐れ(?)だったといまさらながら大変後悔しております。(今は九州から大枚をはたいてわざわざきているのに!)









都会の中の神社らしく社域は狭く入り口から拝殿まではわずか数歩。下手をすると平均な「田舎の一戸建て住宅の敷地」より狭いかもしれません












 参拝後、御朱印をいただきに社務所に行くと上の写真の色鮮やかな「祓い串」がありました。
わたくしも早速「串」を受けさせていただき、祈願ごとをその串に書き奉納しました。聞くと、祈願内容によって色を変えるそうです。
御祈願もおわり帰ろうとしていると社務所のご婦人が
ようこそのお参りでした。今なら、占いもあいてますけどどないですか?
と丁寧な大阪弁で話しかけられました。
見ると社務所内に占いのスペースがあり年配のご婦人の「占い師(?)」の方が暇そうに座ってらしたようです。
さすが「陰陽師晴明」の神社ですな『占い(?)』と思う気持ちと、さすが「大阪」、神社でも商売っ気があることがなんとなくほほえましく思えました。





  





 先ほども触れましたが晴明公と『白狐』の縁は深い。公の母・葛乃葉は『狐』であったという伝説があります。
葛乃葉(くずのは)は信田森{大阪府和泉市にある信太森神社(葛葉稲荷神社)}から飛来してこの地で晴明公を生んだという。こちらの神社は「やすないなりじんじゃ」となっていますがこの名称の所以は分からない。ちなみに晴明公の父、保名と同じ「やすな」ですが関係ないそうです。社域内にはその姿をイメージした「飛来像」があります。




葛葉霊狐之飛来像


安倍 晴明(あべの せいめい/はるあきら/はれあき)
延喜21年(921年)? - 寛弘2年9月26日(1005年10月31日)

平安時代の最も有名な陰陽師であり、鎌倉時代から明治時代初めまで陰陽寮を統括した安倍氏(土御門家)の祖である。
当時最先端の呪術・科学であった「天文道」や占いなどの陰陽道の技術に関して卓越した知識を持ったエキスパートであり、平安貴族たちの信頼を受けた大陰陽師で、その事跡は神秘化されて数多くの伝説的逸話を生んでいった。道摩法師(蘆屋道満)とはライバル関係にあった。また、平将門の子の平将国が安倍晴明ではないかという説もある。

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